日記
この人たちは絶対的に私の味方になることは無い、と気付いたときから視界がくらい。
当たり前といえば当たり前なのかもしれない。
昔のインターネットの記録をみると、あと2年がんばったら、あとさんねんがんばったら、なんさいになったら。しんでもいい、それを自分に許そうというようなことが書かれているのだが、いまもまだ、いきている。息はしているが、いきてはいない、といえるかもしれない。
たまにかまってちゃんの動画をみると何故かやけにまともに歌を歌っていて、歌詞を明瞭に喋っていて、嗚呼、大人になってしまったんだな、と思っていた。ようやくファーストテイクの動画を最後まで見れて、まあそれでもいいのか、と思った。私のかまってちゃんはちばぎんが抜けてしまうのとほぼ同時におわってしまっていて、だから仕方のないことなんだけれども、の子さんは大人になってしまったのだ、と一緒に行っていた友人と疎遠になってしまっている今を含めて淋しい気持ちがしていた。
どうにもならないこともどうにもできないこともあって、だがそれでも皆日々をがんばってやっていて、だからわたしも蹲っていないで耳を塞ぐのをやめて頑張らないといけないと思うのだが、この抱える辛さがあまりにも他の人間とは前提が異なっているのではないか、という疑念が消えなくて、自分の足元を眺めるのを辞められない。しかしこの主張は頑張って立ち上がって走り出して並び立たなくては声に出すこともはばかられるようなこと、なのかな、分からないな。でも流石に、そろそろ、形だけでもわらえるようになったほうがいいんだろうな、たぶんきっとそう。
物語を読んでいると楽で、だから幼い頃の私は楽だったのかな。人のこころを得た後だとよく分からない。物語とその人に向き合っているとき、頭の中のよく知らない場所が燃えるように活性化していると思う。私は多分、ここを燃やすのを辞めないほうがいいんだと思う。たとえそれが逃げの手段であっても。そこに逃げながら生きた方がきっと、結果的に良いほうに進むような気がする。わかんないけど、
どうにもよくないな、という時、しばしば合奏のゆめをみる。現実、もう結構いい年齢だと思うのだが、夢のなかの年齢はさまざまであっても合奏という場所に帰っている。一応、他の場所もあるのにやはり13だか14だかの頃の景色になっている。寝ても覚めても週6だか週7でやっていた事なので、それはそうなのだが、やっぱり楽しかったのだと思う。戻れる訳でも戻りたい訳でも無いけれど、多分、苦しくなる前だったからなのかな、と今書いていて思った。このぐにゃぐにゃの世界の中で息が出来る場所が見つかるといいと思うことしかできない、今の私には。
当たり前といえば当たり前なのかもしれない。
昔のインターネットの記録をみると、あと2年がんばったら、あとさんねんがんばったら、なんさいになったら。しんでもいい、それを自分に許そうというようなことが書かれているのだが、いまもまだ、いきている。息はしているが、いきてはいない、といえるかもしれない。
たまにかまってちゃんの動画をみると何故かやけにまともに歌を歌っていて、歌詞を明瞭に喋っていて、嗚呼、大人になってしまったんだな、と思っていた。ようやくファーストテイクの動画を最後まで見れて、まあそれでもいいのか、と思った。私のかまってちゃんはちばぎんが抜けてしまうのとほぼ同時におわってしまっていて、だから仕方のないことなんだけれども、の子さんは大人になってしまったのだ、と一緒に行っていた友人と疎遠になってしまっている今を含めて淋しい気持ちがしていた。
どうにもならないこともどうにもできないこともあって、だがそれでも皆日々をがんばってやっていて、だからわたしも蹲っていないで耳を塞ぐのをやめて頑張らないといけないと思うのだが、この抱える辛さがあまりにも他の人間とは前提が異なっているのではないか、という疑念が消えなくて、自分の足元を眺めるのを辞められない。しかしこの主張は頑張って立ち上がって走り出して並び立たなくては声に出すこともはばかられるようなこと、なのかな、分からないな。でも流石に、そろそろ、形だけでもわらえるようになったほうがいいんだろうな、たぶんきっとそう。
物語を読んでいると楽で、だから幼い頃の私は楽だったのかな。人のこころを得た後だとよく分からない。物語とその人に向き合っているとき、頭の中のよく知らない場所が燃えるように活性化していると思う。私は多分、ここを燃やすのを辞めないほうがいいんだと思う。たとえそれが逃げの手段であっても。そこに逃げながら生きた方がきっと、結果的に良いほうに進むような気がする。わかんないけど、
どうにもよくないな、という時、しばしば合奏のゆめをみる。現実、もう結構いい年齢だと思うのだが、夢のなかの年齢はさまざまであっても合奏という場所に帰っている。一応、他の場所もあるのにやはり13だか14だかの頃の景色になっている。寝ても覚めても週6だか週7でやっていた事なので、それはそうなのだが、やっぱり楽しかったのだと思う。戻れる訳でも戻りたい訳でも無いけれど、多分、苦しくなる前だったからなのかな、と今書いていて思った。このぐにゃぐにゃの世界の中で息が出来る場所が見つかるといいと思うことしかできない、今の私には。
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